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日本経済新聞『青春の道標』より

つい先日の9月4日、音楽評論家仲間で、大先輩の福田一郎先生が亡くなりました。私が先生に初めてお目にかかったのは、ジャズの専門誌『スィング・ジャーナル』の読者論壇に投稿したりして、ボチボチと原稿依頼が舞い込むようになった1961年頃のこと。私は生意気盛りの21才か22才でした。

戦前から続いていたという由来のある『ホット・クラブ』というジャズ愛好会というか、評論家の集まりがあって、福田先生に連れて行って頂いたことがありました。今は亡き野口久光、植草甚一、ドクター牧こと牧芳雄、いソノてルヲ、油井正一といったジャズ評論家の偉い先生方がズラリと車座になっていらして、いソノさんも福田先生もまだ30代で若手の未席。そのおミソの私はさらに未席だったのに、私がタバコを吸おうとすると、福田先生がパッとライターを出して火をつけて下さる。皆さんの目が『ほぉ〜』というように、未席の私に集まる・・・。

そして確か翌年、『フォア・ラッズ』というアメリカのコーラス・グループが来日して、そのプログラムの中の曲目解説を頼まれた私は、手に入らない資料をあちこち探して、やっと原稿を完成させたのに、コンサート当日にプログラムを手にして見ると、私の名前が何処にも載っていません。この時は大泣きしました。福田先生は招聘元だった『協同企画』の大橋さんという人を、コンサート会場の受付に呼び出すと、『どういうことだ。可哀想じゃないか!!』と、本気で怒って下さいました。

まだポップスはジャズやクラシックのように、評論も解説も確立していなかった頃で、先生も私もジャズを中心に書いていたのですが、『あなたはポップスも聴いているのだから、そっちに力を入れてみたら』と、すすめて下さったのも福田先生でした。そんなフェミニストの先生のお蔭で、今の私があるのだと思います。

湯川れい子

オリジナル・コンフィデンスより

一番のショックは、ポップスやロックを論評する、私にとって唯一の先輩がいなくなってしまったことです。そして今後、辛口の論評がなくなってしまうのではないか、音楽が社会性のあるものとして語られなくなってしまっている風潮に拍車がかかってしまうのではないか、と懸念しています。福田先生がこれまで一生懸命やってこられた灯を絶やさずに、洋楽が私たちに与えてくれたこと、そして今も教えてくれているものを、後世に引き継いでいかなければならないと、強く感じています。

初めてお会いしたのは50年代の終り頃です。『ジャズを書く人はたくさんいるけど、君はポップスに力を入れたらいいじゃないか』と助言を頂き、私にコラムを書くチャンスを与えて下さったのは、福田先生でした。その後、仕事量が急激に増えた私を見るにつけ『そんなに忙しくしているとつぶれるよ』と仰って下さったり、高熱を出して倒れた際には、国立の私の家までいらして、連載原稿の口述筆記をして下さったりと、本当に面倒を見て頂きました。

感情が“正直”に顔に出て、普通、大人の分別で言えないようなこともハッキリと仰るし、やきもち焼きのところがあったり、ケチだったり・・・。
そんなところも、なぜか憎めない可愛らしい大先輩であり、“お父さん”でした。

ポップスについて評論することが、まだ社会的な評価を得ていなかった時代からの貴重な仲間であり、恩人、戦友を失ったような想いでいっぱいです。

湯川れい子

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